
こんにちは!イノショーです。今回はイングランドのヨークシャー地域にあるウィットビーという港町を紹介します。
イギリスの港町ウィットビー

ウィットビーの地図です。総括するとこじんまりした綺麗な町並みの港町という感じでした。個人的にイギリスは正直あまり好きな国ではないですが、ウィットビーは比較的波長が合って良い感じでした。
ウィットビーの人口は13000人程度です。ロンドンやニューカッスルなど大都市の人々と比べるとウィットビーの人々はのんびりして落ち着いています。資本主義の代表格であるイギリスといえどやはり田舎は田舎です。
ウィットビーは港町ならではのクルーズ船ツアーやフィッシュアンドチップスが有名です。また海洋探検家ジェームズクックゆかりの地としても知られています。
特産品ウィットビージェット
ウィットビーで一番有名な特産品といえるのがジェットです。ジェットは日本語で「黒玉」といいます。ジェットはチリマツなどの樹木が海底で長い年月をかけて化石化したものです。
黒く艶のあるジェットの素材を加工したものがアクセサリーやジュエリーになります。ウィットビージェットは紀元前1400年にはすでに生産の歴史があったそうです。
1861年にヴィクトリア女王の夫アルバート公が亡くなった際、女王はあまりの悲しみにウィットビージェットで出来たモーニングジュエリー(喪服期のジュエリー)をずっと身に付けていたそうです。
このことをきっかけにウィットビージェットが英国全土で大衆も含め大流行することになるのです。ウィットビーの街はウィットビージェットのお店で賑わうことになりました。
ちなみに現在ジェットは中国などで生産がされているものの、ウィットビーでは商用規模での生産はされていないそうです。
ですが当時の大流行の名残か、今でもウィットビーにはたくさんの「ウィットビージェット」がお土産品などで売られています。
ウィットビー修道院

ウィットビーの観光スポットであるウィットビー修道院は、13世紀にゴシック様式で建てられました。小説「ドラキュラ」の作者ブラムストーカーが同小説を書くにあたってインスピレーションを受けた場所として有名です。
ヘンリー8世の修道院解放令や第一次世界大戦時ドイツ軍の攻撃により破壊され、その後自然荒廃も進み現在は廃墟と化しています。
荒廃が進んだからか現在はイギリス遺産保護団体イングリッシュヘリテージの保護下にあります。そのためか近くや建物内に入るにはお金を払う必要があります。僕はお金を払いたくなかったので遠目から見るだけにしました。
確かにところどころ崩れていて廃墟であることは間違いありません。ですがそれが逆に哀愁のような空気感をかもし出していて良かったです。
漁業の街ウィットビー

さて、ウィットビーは今も昔も漁業がメイン産業の港町です。ジェット大流行や鉄道の開通などによりウィットビーが観光地化した後も漁業はずっと行われてきました。

ウィットビーを流れるエスキモー川の川沿いや河口付近には、明らかに観光用ではない船がずらりと並んでいます。おそらくこの船が漁業に使う船なのだと思います。

こちらはかご漁に使うためのかごと思われます。かご漁ではその名の通りかごを使って海の食材を取ります。かご漁ではエビやカニ、ツブ、ホッケなどが取れるようです。
小さな街だけど見どころ満載

港付近の街並みやジェット、ウィットビー修道院など小さいながらも見所満載なウィットビー。
中心部は観光客が若干多いかなという気はします。ですがそれにしてもイギリスの落ち着いた田舎町の観光としてはピッタリなところだと思いました。
また郊外にはクリーブランドウェイという海岸沿いのハイキングコースがあるのも魅力です。こちらのハイキングコースについては別の記事で書いていこうと思います。
それではまた明日!